日経新聞
異国の古書 私のカンバス 旅先で買い求め、表紙や中表紙に風景を描き留める 中内渚
旅先で出合った印象的な風景を、同じく旅先で買い求めた古書のページをカンバスにして描く。「古本画家」を、15年ほど続けてきた。
絵は幼稚園のころから好きで、独学でいろいろ描いてきた。最初から古書にだったわけではなく、真っさらな白い紙に描いてきた。
転機は大学生だった2001年。父の転勤先であるパラグアイに渡り、日本の大学で専攻していたスペイン語を勉強した。そのころ、絵はスランプに陥って、何も描けなくなった。白い紙は自由すぎる。何もない平面に最初の一筆を下ろすのがこわくなったのだ。
パラグアイ滞在中、隣国アルゼンチンのブエノスアイレスに遊びに行った。古書街の書店で何げなく手に取った古本を開いてひらめいた。「本は文字が印刷されて真っ白じゃない。レイアウトがある程度決まっているから、ひょっとしたら描くのが怖くないかもしれない」
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カフェで一気に完成
手に取った古書のタイトルは「XILOGRAFIA(木版画)」。慌ただしく代金を払い、近くのカフェに入った。老舗のカフェで、壁には色とりどりのガラス製のランプが飾られている。昼食にはサラダを注文した。本の中表紙を開く。さあ、目の前にある光景を描いてみよう。
それまでのスランプがウソのように筆が進んだ。中表紙には書名や著者名などが印刷されている。構図が既に決まっていて、安定感があるのだ。見えない手に導かれるように筆が進み、ふと気づくと完成していた。ウエーターのおじさんがちらりとのぞき込んで「プロフェッショナルだね」と一言。「やった!」。心の中で快哉(かいさい)を叫んだ。魔法にかけられたかのような出合いだった。
それ以来、旅に出るとのみの市や古書店で気に入った本を買い、目に映る光景を表紙や中表紙に描いてきた。言葉を学んだので、日本に帰ってきてからもスペイン語圏を旅することが多い。
スペインではマドリードで古書を大量に買い込んでから、全土を旅して土地の料理や旧跡を細かく描いていった。バルセロナでガウディの建築をひたすらスケッチし、セビーリャの春祭りではカセータという小屋に招かれて一緒に民族舞踊を踊った。この時の絵は後に「スケッチで旅するスペイン」というガイドブックにまとめ出版した。
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字はレイアウトの一部
古書に書かれている内容と絵は一致したりしなかったり。「El silencio(静けさ)」という本に静かな並木道の風景を描いたかと思えば、「Rey en la tumba(墓の中の王)」というタイトルの本にクロワッサンを大きく描いたこともある。文字は意味で捉えることもあれば、レイアウトの一部として受け止めることもある。
大切にしているのは、現場の雰囲気をなるべく忠実に伝えることだ。「あ、これを描こう」とひらめいたら、線一本でもその場で引くことに決めている。「自宅に戻って描こう」なんてのんびりしていたら、正座したようなかしこまった絵にしかならない。旅先で重い古書を抱えて歩くのは難儀だが、しかたない。
インドネシアのバリ島に行ったときは、夕暮れに沈みゆく森の風景を時間と競争しながら描いた。手元が真っ暗になって見えなくなってもその場の雰囲気を描き留めたいから、また明日というわけにはいかない。
カンバスにした古書のページ上部には、スペイン語で印刷所や印刷年などが小さく刻まれている。翌朝に確かめたら、文字とバリの熱帯の木々や花々が絶妙に絡みあっていた。
ペンは市販の黒のボールペンを使う。現場で見たまま、迷わずに線を引いて、時間があればさらに水彩絵の具で色を付ける。色鉛筆で色を濃く塗り込んだり、アクリル絵の具やマニキュアを試したり、いろんな方法に挑戦するのが面白い。
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紙質や色合いも重要
古書の紙質も重要だ。紙は厚みと弾力のあるものがペンとの相性も良くて好き。紙の色合いも、日に焼けてほどよくベージュ色になったものがいい。南欧や中南米、日本の古書は濃いめに焼けていることが多く、反対に北欧の古書は白っぽくてサイズは大きな本が目立つ。最近は紙の色を見ただけで、どの地域の古書かだいたい当てられる。
これまでに描いた作品は約1000点。最近の代表作を選んで8~13日、東京・銀座の新井画廊で個展を開く。土地の空気をいっぱい吸った古書に旅の風景を描き留める。展覧会は旅先の空気を古書から解き放つ場所だ。これからも古書とペン、水彩道具をバッグに入れて、世界中を旅して回りたい。(なかうち・なぎさ=画家、イラストレーター)