Nagisa Nakauchi

中内渚 古本画家 / 旅行記作家

1. MOSTO HELADOおじさん

 

以前2001年頃、
私の人生で一度だけ、絵の大スランプに見舞われたことがありました。
もう、どんなにあがいてもちっとも描けず、
無理して描いても、それはもうひどい代物で。
描けば描くほど落ち込むので、辛くて苦しくてペンを持つのが恐怖になったくらいなんです。

2年経つ頃には
「この人生、もう絵は諦めた方がいいのかも‥」とついに本気で覚悟も決めました。
と同時に、涙…。
だって絵がなくなってしまったら、私にはもう何もない。やりたいことがひとつもない。
恐ろしいほどのポッカリと開いた穴を感じました。
初めて気付いたんですが、私の人生は思いのほか深く絵と結びついていたようで、
絵はなくてはならなかったのでした。

その頃私は南米に住んでいたのですが、
ふと通りがかったアルゼンチンの古書店通りで、その後を一変する奇跡の出逢いを体験するのです。
それが、「古書に描く」という出逢い。

>>「古書に描くこと」の詳しいいきさつはこちら>>

古書に描く。
ふと思いつき、すぐに近くの老舗カフェにて私はスケッチを始めました。
信じられないことに、絵の調子はすっかり元通り。
しれっと本調子なんですよ。
軽やかに、嘘のように。
それどころか今まで成しえなかった美がそこにある‥!

そうして旅先からパラグアイ(南米)の家へと戻り、また絵に取り組む日々が続いたのです。
当時私はまだ、すぐに古書だけに描くつもりではおらず、
それまでと同じ白い紙を前にし、なんとか良き一歩を踏もうと試行錯誤を決めました。

ともかく絵がひとたび失敗するとダメージが大きくて、後に響くから、なんとか小さく始めて、広げていきたい。

そう思う一心で、まずはB5の無地ルーズリーフを半分に折って小さなノートのようにしました。メモのように絵を始めよう、っていうつもりで。
だめだったら、すぐ次のページへ。よし。

その日もパラグアイ、アスンシオンの中心街(気温は35℃前後!)へスケッチに繰り出し、公園の隅っこに、もうほんとに遠慮がちに座って私は息を整えました。(ふー)

ともかく、なにか絵のとっかかりを掴もう。
街路樹の茂みから覗くと、その向こうに靴磨きのおじさん。
なんとか絵を始めて、なんとかなんとか描き広げて。

……そしてそして、ついに描けたのです!なにがしかを。(その絵がこちら)

※左下に茂みがあるのは、私がその茂みに隠れて描いているからなんですね。

少し形になった。
なんとかこのままの調子を続けたい。右へ目をやると、真っ黄色の移動式屋台。
MOSTO HELADO(さとうきびジュースやさん)。いいね!

さらに屋台も描き進める。そしてさらに調子が上がる。
そのままどんどん周りも描きこんで‥右上のシティバンクの青。
BOOTSのキヨスク、街路樹(これが小粋な効果を絵に与えてるのね)、車‥。
(ちなみに小豆色の車の上のカラフルなのは、売っているビニール製のおもちゃ)
気に入って、そのまままるまる2週間ここに通い、そうしてできあがった絵なのです。

スランプ後の第一号。

そしてこの絵で人生初めて個展を開催し(このパラグアイで)、
そして初めて売れた絵もこの絵となりました。
きちんとなんらかの「意識」をもって絵に向かい始めたのもこの絵から。記念すべき大切な一枚です。
私の歴史もスランプも当時の気持ちも、その後の解放された喜びも全部織り込まれて。

ちなみによーく見ると、絵の左上から中央にかけて
絵の下にたくさんの線が描きこまれてるのがわかりますか?
一度下に描いていた線。

これらを乗り越え、さらに上に重ねるようにして描き込み絵は完成しています。
まさにスランプから脱したこの瞬間を閉じ込めたような絵です。

◆◆ところでこのMOSTO HELADO、さとうきびジュースやさんとは、なんぞや?
ご紹介しましょう。

まず屋台の上にあるステンレスのコップを手に取り、
おじさんが屋台の蛇口をひねってさとうきびジュースを注ぐ。
お客さんがその場で飲み干したら、
水色のバケツで濯ぎ、またコップを戻す。

え!?衛生的に大丈夫?!
という悲鳴が聞こえてきそう(笑)。いや実際(日本の)皆さん悲鳴をあげてました。
ここは回し飲みの文化なので現地の方はまるで気にならないんでしょうね。

一応解決策としては、コップの隣りにプラスチックのコップもあるみたいなのでひと安心かな。
私はマイペットボトルを持って行って入れてもらっちゃいました。
今日も、周りのオフィス街からたくさんのサラリーマンたちが飲みに訪れてることでしょうね!

<絵の中の文章>

>>次に描いた、2枚目の絵は‥>>
>>その後の話>>